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  • 2014.11.15 Saturday
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亘理町レポその2

 417


午前中は避難所になっている亘理高校で衣類の仕分けをしました。


亘理高校はボラセンの向かいの小高い丘の上にあります。避難した方々は体育館での生活を続けているようでした。舞台の上にも毛布やマットなどを敷いて暮らしている人がいたので、満員という感じでしょうか。特に仕切りのようなものは無く、荷物などで隣の家族との区切りを作っているようです。ここでもう1ヶ月位みなさん暮らしているのでしょうから、プライベートも確保できないし、疲労もかなりたまっているでしょう。


入り口付近に事務局があり、亘理町の職員の方、支援に来ている東京練馬区の職員の方、ボランティアの方が作業をしているようでした。この日は散髪のボランティアの方がくるとのことで、その調整をしたりしていました。


用具室に送られてきたたくさんの衣類などが保管されていました。今日の午後にここともう一つの避難所に配るために、サイズ別に段ボールに仕分ける作業です。私たち4人と男性2人で作業にあたりました。私たちは午後から別の作業に行くことになっていたので、男性にはやりにくい女性下着の仕分けをして段ボールに詰めてゆきました。


すぐに時間がきてしまいましたが、途中で男性の一人が、詰めた下着の数も書いた方がいいんじゃないかとおっしゃり、私たちのいなくなったあとの作業が無事に済んだのかどうかちょっと心配です。


午後の集合場所の、亘理駅横の広場までは、歩いて20分くらいありました。駅はお城を模したすてきな建物で、近くの広場や道路にはたくさんの桜がちょうど満開でした。たいへんな震災のあったことを忘れさせるような美しくのどかな風景でした。



芝生になった広場で待っていると、花見をしていた地元の方らしき人達のひとりから声をかけられました。私たちはみんな家屋の泥撤去などに備えてみんな長靴を履いてレインコートやジャージの上下を来ているので、地元の人からみれば一目瞭然でしょう。


「どこから来たの?ありがとうね。」と、その男性は、隣町で震災に遭って家をなくされたそうで、亘理町の知人のところでお世話になっていると言っていました。とても大変な状況なのに、明るく声をかけてくださいました。


広場にくる途中でも、同じように声をかけてくれる方がいらっしゃって、この町の方々の暖かさや懐の深さを感じました。


集合時間よりちょっと遅れて主導者の方が来て、そこからさらに7〜8分歩いたところにある作業現場へ向かいました。


そこは、とても広い空き地の一角で、津波の被災現場から集められたアルバムなど、いろいろな大切なものを並べて探してもらうための、大きなテントを設営するのでした。


午前中に業者の方が整地をしていたらしく、テントを張る場所は、細かい砂利で平らにならしてありました。


男性陣は実際に鉄骨を組み立てて行く作業を、業者の方と一緒に行い、我々女性はナットとボルトを組み合わせたり、テントに横断幕を貼付けたりという作業を手伝いました。



現地で被災した若者が仕事も再開できないからと手伝いにきていて、そのタイプのテントの設営経験があるようで主導していたのですが、業者の方々は詳しくないようで、ようやく両サイドの鉄骨を引っ張り上げ綱で固定したときに組み立て方の間違いが見つかり、もう直す時間はないのでその日の作業は終了となってしまいました。なかなか能率的に進めるのはむづかしいようです。




・・・この設営地の脇には、たくさんの津波の被害から回収されてきた自動車が並べられていました。ほぼ原型を保っているものから、かなり潰れてしまっているものまで。この光景がなにより1番悲しみを感じました。わたしたちがいる間にも、1台、また1台と運ばれてきましたが、津波に遭った人たちの悲しみ、それを回収して運んで整然と並べてゆく人たちの悲しみが強烈に発せられている気がしました。


夜は、自衛隊が設営している銭湯に行きました。女性自衛官の方が暖かく迎えてくれ、2重になったテントの中に入ると、青いビニールシートで巧みに浴槽が作られて豊富なお湯で満たされていました。洗い場も5人分あります。夕方、早い時間に行きましたが、次々のお客さんが来て混み合ってきました。でも、たっぷりの湯船は格別です。待ち合いスペースには、ドライヤーや鏡も設置されており、メッセージ帳にはたくさんのコメントが書いてあったり、写真が張ってあったり。避難所生活の方々もとても癒されてるのではないでしょうか。


湯船につかっている時、となりにいたおばさまが震災に遭った時の話をしていたのですが、どうやらお孫さんと一緒に車ごと流されたところを危機一髪で助かったようです。みなさん、落ち着いた顔で暮らしているようですが、大変な経験をされてしまった方が大勢いるんだな・・・と実感する話でした。



4月18日

この日は帰京日なので、午前中のみの活動で、昨日と同じ亘理高校の避難所に行きました。

電気ポット5台を使ってお湯を沸かしているので、水の補充をしました。まだまだ寒い時期なので、次々とお茶やコーヒーを入れるためのお湯を汲みにみなさんいらっしゃりました。


その後、食事の配布を手伝いました。配布時間は一応決まっていますが、食料はこの頃には充分足りるようになっているようで、時間外にももらいそびれた方々に配っていました。

だいたい1日3回、救援物資の在庫状況によって内容は変化するようです。12時頃のお昼の配布を手伝いましたが、お昼はパンと果物などの軽食のようです。朝の残りのみそ汁やサラダも欲しい人に配りました。菓子パンや果物は、1種類がなくなると、次の種類・・というふうにどんどん渡していくので、好きなものを選んでもらう余裕は無い感じです。


そのあと余興ボランティアの腹話術師さんやクラウンさんが熱演していました。そのうちの一人のおばさまがソーラン節を踊り付きで披露され、とても力強いものを感じました。


そしてなんと初日におじゃましたSさんに再会しました。この亘理高校の避難所で生活しているそうです。やはり快活に居住場所の整理をして、仕事再開の準備などに向かわれたようです。



午後2時には交代の3期のメンバーが中野から到着し、入れ替わり同じバスで私たちが帰途に着きました。


今回、こういった機会を作ってくださった中野社会福祉協議会、引率してくださった黒木さん、一緒に行ったメンバー、亘理町で出会ったSさんをはじめ地元の方々、お世話になったいろいろな方々、大変ありがとうございました。自分は微力でしかありませんでしたが、この体験で学んだことを、これからに生かしていきたいと思います。


すべての被災した地域がもとの活気や安心した暮らしを取り戻すには、とても長い道のりがかかると思います。壊れた建物や街並の片付けもまだまだたくさんの力が必要です。避難所生活で心身ともに疲労が溜まるでしょうし、仕事を再開するのにむづかしい問題や苦労のある方も多いでしょう。


これからも、長いスパンで自分に可能な形で支援をしてゆきたいと思います。


JUGEMテーマ:日記・一般


亘理町レポ その1

 4月16日〜19日


中野区社会福祉協議会が募集していた、宮城県亘理町への震災支援ボランティアに参加してきました。


あたしのようにボランティア未経験だけれど行きたい、行きたいけどどういう仕組みになっているのかわからなくて躊躇している人も多いと思うので、知ったこと体験したことを長い文章になってしまいますが書いてみようと思います。



・・震災が起きてからずっと、仕事を辞めてこのタイミングであたしは無職で浮いた労働力なのだから、何かしなくちゃいけない!と思い続けていました。


ネットで毎日検索したけれど、県外ボランティアはまだ受け付けていなかったり、現地までの足と宿と食料を全て自分で用意するとかだったり・・・。自動車もテントも持っていないし、己の無力さをかみしめつつ、せめても節電する毎日を送っていました。


そんなとき中野ボランティア募集の記事をみつけて、募集人員が少ないけれどダメもとで応募したのでした。


往復のバスを無料で用意してくれ、泊まるところはテントか旅館(有料)という、わたしにもなんとか参加できそうな条件でした。


2期メンバーは女性6名・男性3名で、社協職員のKさんが引率してくれました。


マイクロバスに乗り6時間あまりの道のり。現地に近づくにつれ、『災害支援』と書いてある車両をたくさん見るようになりました。


現地のボランティア活動は15時くらいまでなので、初日は我々は到着すると、ボランティアセンターやその周りを見学するくらいで明日に備えます。


内陸から海岸に向かって亘理町に入っていったので、ボランティアセンターのある高台のあたりは、まるで何もなかったかのように無事です。向かいの高校や近くの小学校が、海岸部で津波の被害に遭われた方々の避難所になっていました。


わたしを含め女性4人が旅館のおなじ部屋に泊まりました。あとの二人は海外のボランティア経験もある頼もしい女性達で、テント泊です。


ボラセン(ボランティアセンター)には、本日の活動を終えた方々や、それを迎え入れる方々でごったがえしていました。道具や長靴の泥を洗ったり、うがい薬をくばったり、帰ってきた人たちに豚汁がふるまわれたり。


宿に荷物を置いて、我々は海の方まで歩いてみよう。。。ということになり、15分程度歩きましたが、まだ海岸部まで遠く、津波による被災現場をその日は見ることはできませんでした。



朝、8時半からボラセンで本日の活動のコーディネートが始まります。災害ボランティアに参加するのが初めてなのでどういう仕組みかわからなかったけれど、どうやら市町村に受け入れ状況を確認できたら、団体も個人も各々たとえば亘理町なら亘理町のボラセンに登録して、こうして朝のコーディネートに参加するというのが基本のようです。


活動時間は仕事をもらえ次第現場に向かい、午後15〜15:30には現場を引き上げて、16時頃にはそれぞれ帰途につく感じです。作業は陽の高いうちだけするのが原則のようです。


職員の方が、本日の依頼の案件を次々読み上げ、やれる・もしくはやりたいと思う案件に手を挙げて今日の活動をゲットする・・・という感じです。自家用車で来ている人、しかも一輪車(てこ)をつめるような大型の人は有利です。あと、複数名でチームを組んで立候補するほうが、活動をゲットしやすいようです。


仕事内容は、屋内外の泥かき・片付けが多く、その他、避難所の物資の仕分け、自衛隊設営の銭湯の手伝い、高齢者の話し相手など、いろいろなタイプがあります。


亘理町の被災地域は、水道の復旧した地域もあるけれどまだ全面的に停電でした。


私たち旅館組4名は、バリバリの力仕事には向かないから、どのあたりの仕事をもらえばいいのか固唾を飲んで読み上げるのを聞いていました。


10名くらいで1階部が浸水したお家の泥かきと掃除をする・・・という案件に、なんとか参加することが出来ました。被災地域まで少し距離があるので、自家用車でない人たちを連れて行ってくれる運転ボランティアさんも待機していて、道具を積んで出発です。


高架になった常磐道を越えると、一気に被災地域が目に入ってきました。放置された車両が、いろんなところに佇んでいる。道路以外、全体に地面が泥と枯れ草が混じったようなものに覆われた感じになっています。本当に、くっきりと、津波の被害にあったところとそうでないところが鮮明に違います。


常磐道がある種、堤防のような役割をしたとのことでした。それにしても、まだまだ海は見えない。かなり内陸まで津波がやってきたということです。



Sさんのお宅は、2階建ての一軒家で庭もありました。建物診断は緑だから、建物内でも作業が出来ます。ボランティアが入るのは2回目らしく、家具や道具を出したり、泥かきもある程度行われたようでした。


1階の6割くらいの高さのところに、くっきりと跡があります。ここまで海水が来た、ということです。土台が高くなっているお家なので2mくらいの水位だったことがうかがえます。


男性陣が、家の周りの泥出しや1階の床をはがして床下の泥の除去を行ってゆきまます。


我々女性陣は、台所の掃除をしました。ある程度泥はよけられ、食器なども洗ったり、別の場所にすでに移動してあったので、食器棚や流し下の引き出しに残った泥をかき出し、拭き上げてゆきます。


泥は、2〜3回拭いてもなかなかきれいに落としきることができません。津波の泥水は日常の汚れと違い、棚の隙間にも隅々まで入り込んでしまい、側面や上面にも泥や枯れ草を残してゆくのです。非力ながら、せめてこの台所を今日で使える状態に持っていけたらと思いぞうきんで拭き上げました。ある程度きれいになりましたが、まだとりはずせなかった洗浄機の清掃や、拭き上げた部分も消毒などする必要があるでしょう。


たった一部屋なのに、日常生活を行えるように戻すのはこんなに大変なんだ・・・と思います。周りには、同じように片付けを始めたばかりの家もたくさんあります。海岸部に向かえば、まだその前段階の手つかずの状態もひろがっているはずです。他の町は・・・と考えると、ほんとうに、気の遠くなる話です。



昼食は、現場がどういう状況かわからないので持参原則なのですが、この日はわたしたち以外にも友人や親戚らしき方々がたくさん手伝いにいらっしゃっていて、ガスが復旧していないなか、カセットコンロで豚汁を作ってくださり、手作りのおにぎりや漬け物、温かいお茶や缶コーヒーまで用意してくださりました。


午後は、泥運びも少し手伝わせてもらいました。消防士をめざしているという若い男性が、身軽にも床下に入り込み泥をかき出してくれます。それを、もう一人の男性がバケツに入れそれを運びましたが、泥はとても重く、そして大量です。津波というと海水のイメージでしたが、こんなにも泥やその他いろいろなものを巻き込んでやってくるのだと知りました。


そして、居間や応接間の床板がすべてはがされ、消毒のための石灰を一面に撒いてゆきました。


こちらのお宅のある地域は、水道は復旧しているけれど、電気はまだ普及していません。2階は無事だったけれども、やはりsさんも避難所での生活を続けているとのことでした。


看護士のsさんの営んでいた職場でも、職員さんが仕事帰りに数名の方が亡くなられたそうです。sさんは、もう職場は閉めようかと思ったのだそうですが、残った職員さんが、また再開したらぜひ働きたいと言っているので、避難所生活をしながらも、いま再開の準備をしておられるそうです。そして日曜日だけ、こうして自宅の片付けを進めているとのことでした。


sさんはつねに明るく元気に動いてらして、隣のお家にも豚汁を持って行って声をかけたりして、その人柄や笑顔・パワーに、なんだかこちらがたくさんの元気をもらってしまった1日でした。




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